矢作村の由来(やはぎむらのゆらい)
矢作は、その地名のごとく、矢作りを生業とした人々が住んだところから、この地名がつけられたといいます。
「黒鳥兵衛の乱」で勝利を得た加茂次郎義綱(八幡太郎義家の弟)は、この功により勅勘を許されましたが、その後永長元年(1096)都へ帰るまでの間、この地に住んで矢を作ったという言い伝えがあります。
今でも井田丘陵のふもと中山地区の北方にある谷間がその跡地だと伝わり、地名も小屋場と呼び、昔は耕作等の折に、しばしば鍋などが見つかったといわれます。
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