国重要文化財
十柱神社社殿(とはしらじんじゃしゃでん)

- 国重要文化財 建造物(大正6年8月13日指定)
- 彌彦神社境内末社である十柱神社現社殿は、元禄7年(1694)、長岡藩主牧野氏の奉納で、桁行(けたゆき)3間、梁間(はりま)3間。屋根は一重、茅葺(かやぶき)で入母屋(いりもや)造の妻入(つまいり)、板葺向拝(いたぶきこうはい)1間付き。その形式は簡明であるが、蛙股(かえるまた)・虹梁(こうりょう)・拳鼻(けんび)などの絵様彫刻に桃山末期の様式を伝えている。
元禄7年(1694年)長岡三代藩主牧野駿河守忠辰の心願により、新たに社を創建し、翌年牧野家関係四霊神と、境内にあった大己貴命(おおなむちみこと)を祀る末社を合融し「五所宮」と称したことに始まる。明治になって信濃川の大河津分水工事に伴い、新河の傍らに弥彦大神と土・水・山・野・海・川等十柱の神を工事守護神として祀られたが、明治6年(1873)県令楠本正隆の命でこれらを彌彦神社に合祀されることとなった。彌彦神社では弥彦大神を本社に奉遷、ほかの九柱神をこの五所宮に合祀した。明治8年(1875)、牧野家四霊神を廃祀、祭神大己貴命と九柱合わせて十柱を祀り、社名が「十柱神社」と改められた。
大太刀 附 革鐔(おおたち つけたり かわつば)

- 国重要文化財 工芸品(昭和4年4月6日)
- 刃渡り7尺2寸8分5厘(220.4cm)中心(なかご)3尺3寸5分(101.5cm)、身長大きく身幅広く反(そ)りは高い。地(ぢ)は板目鍛(いためきたえ)、刃文(はもん)は湾(のた)れ心(ごころ)の乱刃(みだれば)で、表裏に棒樋(ぼうひ)をかく。中心には長い銘(めい)が切ってあり、応永22年(1415年)の製作を示している。
この刀は越後国古志郡夏戸(現、三島郡寺泊町地内)城主志田三郎定重が、備前国(現、岡山県)長船(おさふね)の刀工家盛(いえもり)に鍛えさせて奉納した。重要文化財の湾刀(まがりがたな)としては、わが国最大の刀で、附属の練革(ねりかわ)13枚重ねの丸鍔(まるつば)や鉄はばきなどとともに貴重な名品である。
(銘)
(表)南無正八幡大菩薩 右惠門焏家盛 (裏)南無淹摩利支天源定重 應永廿二年十二月日
弥彦神社燈篭おしと舞楽(とうろうおしとぶがく)



- 国重要文化財 無形民俗文化財(昭和53年5月22日指定)
- 彌彦神社に古くから伝わる燈篭神事で、以前は旧暦の6月14日を中心に行われていたが、昭和36年から現行の7月25日を中心に行われるようになった。この晩は県内各地の大燈篭講中から献燈された大燈篭と地元氏子中より献燈の田楽燈篭多数が2基の御神輿を中心にその前後に連なり渡御巡行となる。午後9時、行列は迎え燈篭に先導され、一の鳥居で勢ぞろいして行進、摂末社の前で神歌を披講する。この間花燈篭の連中は歓声をあげてもみ合い、それを囲んで踊り回る。町を一巡した燈篭は夜半帰還し、拝殿前の特設舞殿を取り囲む。その中で神歌楽、天犬舞が奉奏され深夜に終了する。
舞楽は「大々神楽(だいだいかぐら)」「小神楽(しょうかぐら)」「神歌楽(かがらく)、天犬舞(あまいぬまい)」の3種よりなる。
大々神楽は地久楽(ちきゅうらく)、戟舞(えんぶ)、弓の舞(ゆみのまい)、陵王(りょうおう)、河(りんが)、安摩(あま)、神面(かんめん)、二の舞(にのまい)、児納蘇利(ちごなそり)、珠(かんじゅ)、抜頭(ばとう)、大納蘇利(おおなそり)、泰平楽(たいへいらく)の13曲からなり、現在は4月18日の妃神例祭に舞殿で奏される。
小神楽は正月の夜宴神事と2月の神幸神事に拝殿で奉奏されるほか崇敬者らの祈願の際にも奉奏される巫女舞である。神歌楽、天犬舞は一社秘伝の舞で、7月25日の当夜神前の仮設舞殿のみで舞われる。
鉄仏餉鉢(てつぶっこうばち)

- 国重要文化財 工芸品(昭和34年12月18日指定)
- 口径59cm、高34.3cm、縁厚約1.2cm、高台高7.1cmの大鉢で、口縁部の端反り少なく、胴部に陽鋳の玉線がめぐり、高台は大きく反り、数条の節がある。ひきしまった形・輪郭・のびやかな全体の姿には、時代の気品を示すものがある。
上下玉線の間の陽刻銘文により、鎌倉末期の嘉暦元年(1326年)に、越後国奥山庄(現、北蒲原郡中条町付近)の住人相次郎孝基が奉納したものであることがわかる。
(銘)
弥彦御鉢 嘉暦元年丙寅 九月吉日 奥山庄中条住人 相次郎孝基敬白
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