弥彦村章
平和と協力と発展のシンボル
説明
外円は「ヤ」と「ヒ」の文字を象り組み合わせ、内の線で「コ」を表し、外円は平和と共同募金のマークの如くお互いに助け合う、即ち協力を意味しています。三角の中軸は、躍進発展と弥彦山を象徴しています。
応募作品は、南は熊本県、北は仙台市等から集まり、330数点に及びました。審査は村議会及び理事側代表、図案専門家新聞関係者等11名によって厳選した結果、平和と協力と発展を表徴する弥彦村章が決定しました。
昭和43年3月27日条例制定
弥彦村民憲章
わたくしたちは、越後文化発祥の地として、輝かしい歴史と伝統をもったこの郷土に誇りを持ち、さらにいっそう明るい家庭、住みよい郷土をつくるためにこの憲章を定めます。
- 自然と緑を大切にし、美しい環境をつくりましょう。
- 心と体をきたえ、健康で活力のある村民となるよう励みましょう。
- 教養を高め、文化と福祉の充実した村をつくりましょう。
- 他人を思いやり、助け合って温かい人間関係をつくりましょう。
- 働くことのよろこびと誇りをもち、明るい家庭をつくりましょう。
昭和55年1月1日制定
弥彦村民歌
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朝日の光 さわやかに 仰ぐ弥彦山(やひこ)よ 飛ぶ雲よ
ああ 人の和のひろがりに 新たな息吹 もりあげて
咲かそう夢を 美しく 弥彦 弥彦 伸びゆく ふるさと
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西蒲原の 風澄みて みのる稲穂よ よろこびよ
ああ 四季のうたわきあがり 豊かな文化 ひらきつつ
みどりの花が 明日を呼ぶ 弥彦 弥彦 伸びゆく ふるさと
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越後の鎮(しず)め おごそかに 映える神社(やしろ)よ 一の宮
ああ 虹を越えゆくところ 理想は一つ 躍進の
高鳴れ鐘よ とこしえに 弥彦 弥彦 伸びゆく ふるさと
村の木
決定までの経緯
「豊かな自然と、緑をとりもどそう」の運動の一環として弥彦村推奨の木を公募し、昭和48年4月27日に農業センターにおいて選定委員会を開催しました。応募された38点を審査した結果、次の3種類が決まりました。
「椎の木」「杉」「桜」なお、このうちから弥彦村の木を「椎の木」と決定しました。
(昭和48年5月15日号「広報やひこ」掲載記事より)
公募の理由は・・・
椎の木
- (1)神社の神木である。
- (2)歴史的な関係が深い。
- (3)常緑喬木である。
- (4)古歌にも多く歌われている。
- (5)生育が容易である。
- (6)建築、器具、薪炭、しいたけの原木に利用される。
- (7)実を食用にできる。
杉
- (1)天然記念物としての杉並木。
- (2)地質などが杉の生育に適している。
- (3)用材として生垣として使途は多い。
- (4)神社の杉森は、弥彦を象徴する。
- (5)村内から良い苗木が生産される。
- (6)歴史的、伝説的にも村民との関係が多い。
- (7)山林への杉の植樹は推進されるべきである。
- (8)村章にある三角の矢印は年中青くすくすく成長してやまない、弥彦山の杉を象徴していると考えられるので意義深い。
桜
- (1)里桜の名所としての歴史がある。
- (2)桜の会の活動で手入植樹が容易である。
- (3)季節的に観賞性が必要である。
- (4)弥彦の地名を象徴している。
椎の木
現在、彌彦神社境内の旧本殿跡の一角に繁茂する椎の木は弥彦大神の「御神木」といわれています。社伝によれば御祭神が越後国開拓のために弥彦においでになったとき、携えられた杖を地にさし「この地方が私の永住するにふさわしい所なら、根を生じ芽を出し繁茂するであろう」といわれたところ、そのことばどおりみごとに生育されたと伝わっています。
また、昔から「天下に異変あるときは、奇瑞あらわす」ともいわれています。
明治45年3月11日の弥彦大火では全部焼けて太い幹だけが残りましたが、やがて新芽を出し再び現在のように盛んになりました。
元来、椎の木は本州の西南部、四国、九州などの暖地帯の山野に自生する常緑の喬木で、高さは5m内外にも達し、昔から果実は食用に供され、材は建築、器具、薪炭材に用いられるなど、椎茸栽培用の原木にも供され、また、多く観賞用として庭園にも植栽されるなど、日本人の生活に密着した樹木として親しまれています。彌彦神社の御神木を始め境内、外苑弥彦公園などに植栽されている多くの椎の木は、我が国の植物分布上から見て北限に属するのではないかと思われます。
日本最古の歌集、万葉集にも椎の木を詠んだ和歌がいくつかありますが、巻二にある有間皇子(孝徳天皇の御子)の「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」一首は有名です。
このように、歴史的にも、植物分布上からも特色があり、弥彦村のイメージとなる樹木として、緑の自然をますます大切に保護育成してゆくうえからも、村の緑化推進のために植栽を盛んにしたい代表的な木が椎の木です。