いざ出陣!弥彦で知る上杉謙信 義の心

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黒滝城を探索

黒滝城跡

黒滝城址マップ


 北陸道の軍略上の要として重要な役割を果たし、守護上杉氏及び後上杉氏直属の要塞であった黒滝城。
 戦国時代の「御館の乱」、「遺民一揆」など越後の覇権をめぐって繰り返される動乱の度ごとに、黒滝要害の攻防が行われました。
 黒滝城の全体規模は大きく、新潟市西蒲区の天神山城と双璧をなし、蒲原地方全体の中においても屈指の存在でした。

 
     ▲黒滝城跡めぐりルートマップ ( 2.44MB)

 

1 黒滝(くろたき) 2 天神曲輪(てんじんくるわ)
黒滝(くろたき)
黒滝城の由来である黒い岩壁
天神曲輪(てんじんくるわ)
城の名前の由来となった黒滝。城の北谷(中の沢)に位置し、落差35mの黒い岩(粗粒玄武岩)の滝です。
現在は水量が少なくなっています。
実城(みじょう)ともいわれ、城の最高地標高246mに天神像を祀り、天神曲輪と名づけました。
約33×16mの本丸があり、頂上からは近くに渡部城、遠くに夏戸城などが望める曲輪でもありました。
3 弐ノ曲輪(にのくるわ) 4 桜井ノ曲輪(さくらいのくるわ)
弐ノ曲輪(にのくるわ) 桜井の曲輪(さくらいのくるわ)
山を階段状に切り開き、平らにして城の陣地としました。高い順に壱の曲輪、弐の曲輪と名づけ、当曲輪では、副大将が守っていました。春は見事なヤマザクラや梨の木の花が咲き、ハイキングの休憩場所として最適です。 戦いになれば登城し、城主が居城した場所。
大井戸・桜樹があるので桜井の曲輪と名づけられ、山の中腹を削り広い平地を造って曲輪としました。
5 桜井ノ井戸(さくらいのいど) 6 大蓮寺曲輪(だいれんじくるわ)
桜井の井戸(さくらいのいど) 大蓮寺曲輪(だいれんじくるわ)
山城の大切な水を得る大井戸で、戦いに負けたとき宝物を埋め、城から逃れたと言い伝えのある井戸です。
東側下段山腹には黒滝があります。
燕市(旧分水町中島)の大蓮寺があった場所。城を守る侍の集まりや、勝敗の吉凶・祈願した所で、普段は侍が居て麓の根古屋(ねごや)への合図をする曲輪でした。
見晴らしが良く、越後平野が一望できます。
7 桜清水(さくらしみず) 8 竜ヶ沢(りゅうがさわ)
桜清水(さくらしみず)
桜井戸の金明水(きんめいすい)と共に、この清水の銀明水(ぎんめいすい)も大切な水の出る所。また、まわりからスリ鉢(ばち)やカメの焼物が見つかる水源の場所です。 桜清水と鷲沢(わしざわ)の井戸の水が流れ落ちる沢で、沢というより谷=別の名前が夏ヶ渓(なつがたに)という沢で、絶壁になっています。
9 大兵溜曲輪群(だいひょうたまりくるわぐん) 10 鷲沢ノ井戸(わしざわのいど)
大兵溜曲輪群(だいひょうたまりくるわぐん) 鷲沢の井戸(わしざわのいど)
曲輪が多い群と言い、桜清水・鷲沢の井戸を守る侍が勤めた大兵瑠で、階段状に曲輪を何段にも造っている場所です。 山城の大切な清水が出る井戸で銀明水とあり、近年まで山仕事用の飲み水を利用した水源の一つ。また、桜清水とともに竜ヶ沢へと落ち城川(じょうがわ)へとそそいでいます。
11 吉傳寺曲輪(きちでんじくるわ) 12 蛇崩側曲輪(じゃくずれがわくるわ)
吉傳寺曲輪(きちでんじくるわ) 蛇崩側曲輪(じゃくずれがわくるわ)
南の峰(蛇崩)側が見える場所にあり、南尾根の吉傳寺平(きちでんじだいら)一段下の平地につくった曲輪です。役割は大蓮寺曲輪同様と思われます。 大手南沢道から城へ登って侵入攻撃に備え、南下の山腹をけずり、階段状の陣地を造った蛇崩側(じゃくずれがわ)の曲輪です。
13 参ノ曲輪(さんのくるわ) 14 壱ノ堀切(いちのほりきり)
参ノ曲輪(さんのくるわ) 壱ノ堀切(いちのほりきり)
弐ノ曲輪と同じく実城を守る役目の副大将が、時によっては仮の館を作り、南沢からの侵入を防いだりした場所で、実城側の入江の絶壁(切岸)がある曲輪です。 天神曲輪西側を掘った堀切です。上の曲輪は、後の本丸にあたるので、特に守るために深く掘り下げた堀切です(深さ20m)。
15 弐ノ堀切(にのほりきり) 16 参ノ堀切(さんのほりきり)
弐ノ堀切(にのほりきり) 参ノ堀切(さんのほりきり)
天神曲輪より近い順に弐ノ堀切、参ノ堀切と言い、この堀切はやせ尾根中間にあり、参ノ堀切とまわりの強い防ぐ場所が多くあるため、浅い堀切として造ってあります。 大堀切。敵の侵入を防ぐために山の尾根を断ち切って、敵兵が登りつけないような崖(V字形)に掘りました。深さが18m余もあり、しかも実城側に二つの陣地曲輪を造っている大切な場所となっています。
17 四ノ堀切(よんのほりきり) 18 五ノ堀切(ごのほりきり)
四ノ堀切(よんのほりきり) 五ノ堀切(ごのほりきり)
今の林道要害線の峠の真上にあり、剣ヶ峰砦の北からの登り口にある堀切で、南からの敵の侵入を防ぐ役目がありました。 剣ヶ峰を実城側から登る282m地点の峰をV字形に断ち切り、剣ヶ峰砦への攻めと実城への攻めを防ぐ堀切です。
19 六ノ堀切(ろくのほりきり) 20 門口砦曲輪群(もんぐちとりでくるわぐん)
六ノ堀切(ろくのほりきり) 門口砦曲輪群(もんぐちとりでくるわぐん)
五ノ堀切に続く、峰上に堀切が掘られていて、また、形が崩れていますが七ノ堀切もあり、共に攻めを防ぐのが目的です。 参ノ堀切の南側の山腰にある数段の曲輪群で、東南にある堅壕(たてぼり)で敵を防ぐ曲輪群です。
21 南沢側曲輪群(みなみさわくるわぐん) 22 門口砦(もんぐちとりで)
南沢側曲輪群(みなみさわくるわぐん) 門口砦(もんぐちとりで)
参ノ曲輪・実城寄り切崖下の南沢から進入して来る敵に対し、防御するための陣地群です。 大手側からの入・退城を取り締まる大切な砦で、冠木門(かぶらぎもん・二本の門柱・上部に冠木を組む門)があったと思われます。見張る台地は中間に土塁をおき、待機(機会の来るのを待つ)曲輪がある砦です。
23 乳母ノ懐曲輪群(うばのふところくるわぐん) 24 剣ヶ峰砦(けんがみねとりで)
乳母ノ懐曲輪群(うばのふところくるわぐん) 剣ヶ峰砦(けんがみねとりで)
大手側南沢道より到着する曲輪群の場所で、乳母ノ懐のような暖かい場所の駐屯(軍隊がとどまる)地で、地元はウンバフトコとかいう珍しい名で呼ぶ曲輪群です。門口砦の麓南面に階段状に多数の曲輪を造っています。 剣(つるぎ)のようにとがった峰から剣ヶ峰と名づけられ、実城より高い標高292mの頂上に造った最前線の砦で、360度の展望が可能となっています。
弥彦山・日本海・寺泊港・大河津分水路の眺望は絶景で、さらに、晴れた日は佐渡島を見る事ができます。
25 見張り台 26 剣ヶ峰側砦(けんがみねとりで)
見張り台 剣ヶ峰砦(けんがみねとりで)
目前に渡部城や寺泊港・野積海岸の敵兵の動きが、見渡せる砦がありました。 剣ヶ峰南麓入り口の砦で、東裾には堅堀のある砦でした。
27 剣ヶ峰山麓砦(けんがみねさんろくとりで) 28 南沢尾根砦(みなみさわおねとりで)
剣ヶ峰山麓砦(けんがみねさんろくとりで) 南沢尾根砦(みなみさわおねとりで)
扇ヶ峰とともに黒滝本城へ入る南側線砦の一つで、左面には堅堀と、下裾野には空堀の砦がありました。 剣ヶ峰砦北東の砦。空堀を持ち大手南沢の道を見下ろす尾根上にあり、大手道の将兵の往来、そして駐屯地・守備する砦でした。
29 扇ヶ峰砦(おおぎがみねとりで) 30 国上からの陣道(くがみからのじんどう)
扇ヶ峰砦(おおぎがみねとりで) 国上からの陣道(くがみからのじんどう)
国上側から入る一番目の砦で、警戒と見張り、推察から水源の一つ「南沢の水」確保の砦でもあったようです。 渡部城から国上からの陣道(将兵の往来の道)で、夏戸城の志駄春義が黒滝へ入った(黒滝に入り勝利を得る)と推察される陣道です。
31 吉傳寺平(きちでんじだいら)    
吉傳寺平(きちでんじだいら)  
吉傳寺曲輪上部の尾根、長い一帯を呼び、北西に土塁、蛇崩山を望む谷側面は、南沢よりの敵の侵入を警戒する曲輪群が何段も備えている場所です。  
※注釈

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