

当地弥彦村には、知略に富み義を重んじた戦国武将 上杉謙信が、若き日に越後の国人領主の支持を集めるきっかけとなった「黒滝城の攻略」や「彌彦神社への祈願文」を奉った歴史があります。上杉謙信の戦歴を見ると武田信玄や織田信長といった戦国時代の名将と戦を重ねていますが、その戦いは欲によるものではなく、義を重んじ出兵したものだったといわれています。
また、敵対していた武田信玄が今川氏真(うじざね)によって塩を断たれた際、今川の行為を批判し、武田信玄に塩を送ったエピソードは有名で、江戸時代の陽明学者頼山陽が讃(たた)えて「敵に塩を送る」という故事が生まれたといわれています。
NHK新潟放送局 天地人ゆかりの地を行く「深沢弥七郎と黒滝城」をご覧ください。


古く神代(かみよ)の時代、天照大神(あまてらすおおみかみ)の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)が、日本海を渡り、弥彦山西側にあたる野積海岸(現長岡市)に上陸され、住民に海水から塩を作る方法や、手繰網を使った漁法を教え、その後この弥彦の地に移られ、農耕技術など様々な産業の基礎を授けたと伝えられています。
命をはじめ、その子孫六代にわたって越後文化の基礎が作り上げられていったことから、弥彦村は「越後文化発祥の地」と言われ、彌彦神社の門前町として、また北国街道の宿場町として人々が行き交い、賑わいのあるところとして栄えています。

また、天香山命をご祭神としている越後一宮「彌彦神社」は、万葉の昔から「おやひこさま」の愛称で広く民衆から愛され、崇拝されています。
弥彦観光については、こちらをご覧ください。![]()
〜黒滝城〜
上杉謙信・直江兼続(天地人)にまつわる 弥彦の歴史探訪をご覧ください。 ※弥彦観光協会HP

新潟県内の主要街道「北国街道」旅篭跡
戦国時代に上杉氏は、領内に伝馬制度を敷き、本城を中心として主要幹線道路に宿駅を設け、伝馬(てんま)を常備して軍需物質や飛脚・家臣などを送ることに当たらせました。軍事上の重要拠点として弥彦にもその必要性がありました。
天正9年(1581年)に彌彦神社の領地の村々並びに弥彦町は、上杉氏から伝馬宿送(てんましゅくそう)の制札を受けました。
天正12年に上杉景勝は黒滝城将村山慶綱に春日山城下の領地間を往来する時は、宿送の人夫20人を使用することを許可しています。宿駅制度の発達は宿場町の発達を促し、伝馬役を担った弥彦村も交通の要衝として発展していきました。
織田信長が恐れるほどに強く、現代でも人気の高い戦国武将の一人 上杉謙信。利によって動く戦乱の世にありながら、上杉謙信の「義」を尊び重んずる生き方は上杉景勝や直江兼続をはじめ、多くの上杉家の家臣たちに引き継がれていきました。
今の時代に求められている「義」の心。その上杉謙信の愚直なまでに「義」を重んじ、ひたすら真っ直ぐに生きた精神が、この弥彦で解き明かされます。